チラシの裏

暇だったので始めてみた。適当にいろいろかく。

日記

日記を義務感により毎日続けるのは合理的な選択なのだろうか。

今まで続けてきたからこれからも続けるというのは埋没費用にとらわれているのではないか、という気持ちにはなるけど、今日は書きたいから書こう。嫌になったらすぐやめよう。今のは日記が途絶えた時の言い訳として使います。

 

12時過ぎに起床し13時より院試ゼミを行った。

段々問題を解く雰囲気が掴めてきた。しかし院試まで時間はなく、学部で勉強したことを体系的に理解して院試に挑むのはもはや不可能であろう。過去問を解きながら穴だらけの記憶を少しずつ埋めていくほかない。

 

滑り止めくらいは受けておいた方が良かったかもしれないなあ。

 

その後ゼミの予習をした。

初め1時間くらいはさっぱり分からず唸っていたが、定義の和訳し間違えが判明しそこからは、少し理解が進んだ。分からなかったことが少しでも分かると、かなり嬉しい。僕は数学科に来て良かったんだと思う。ほかの学科に入って、無事生きていけているさまを想像できない。

 

日記

また日記を付けてみよう。

 

12時過ぎに起床。

水曜3限にミクロ経済学の授業を取っていたが、面倒くさくなったので受講をやめた。授業はどうもライフスタイルに合わない。精神衛生によろしくない。

お昼に担担麺屋でご飯を食べた。財布を忘れて取りに帰った。

その後、電気屋でタブレット端末を見た。手書きノートや計算用紙代わりに使うのであれば、10インチは必要だと思った。ipadかipadproかmediapadがちょうどよいか。予算と性能を照らし合わせるとipadが良さそうだが、スマートフォンandroidなので操作がちぐはぐになって面倒くさそう。タブレットに詳しいマンに聞きたい。

その後、適当にゼミの予習をした。試験期間ともあって学食の2階のフリースペースでは期末試験に向けての勉強をしている人が多かった。ストレスフルな生活を送っていて大変そうだと思った。

試験に向けてつくろった勉強で単位を貰ったり、大学に受かったり。大学院に受かったり。就職に向けてつくろった自己像で自己PRを書いたり。しんどいですね。

ゼミ予習もそこそこに嫌気がさして、おうちに帰った。夕飯は何処で食べようかな。

日記 5/11

5/11

 

朝12時起きで2限に出られず。

3限もサボり4限5限と出たよ

また日記になる

また日記 5/9

 

昨日早く寝るのに成功して今日は9時頃起きれた。

珈琲を入れてのんびりしたのち、大学へ。

大学の生協食堂でライスSキャベツのスープ煮肉じゃがコロッケを食べ、数学講究へ。

 

次回は僕の番なので頑張らねば。

 

その後、会計学の授業。

棚卸資産の話。先出先入法とか移動平均法とか簿記2級でやったやつをやった。

この先生の授業は分かりやすい。

 

その後、講究の進捗を産むため勉強していたが、演習問題になっている補題の証明が出来なかったので図書館で参考になりそうな本を探していた。

結局良さそうなフーリエ変換関数解析の本を見つけて、家に帰って読んだが、補題の証明のヒントは得られなかった。

結局その後5,6時間くらい時間を溶かして考えたが糸口は掴めず…。

明日また本を探しに行って見つからなかったら、先生に相談しよう。

話していいことと話してはいけないこと

夜中で眠れないので書く。

 

先日、アクチュアリー受験研究会なる組織の会合に初参加してみた。アクチュアリーで活躍している人や去年試験科目に合格した運営委員の人などから話を聞いたりなどした。

その後は懇親会という名の飲み会に参加、二次会の最後まで参加させてもらった。

 

おそらく、ミクロ経済学における合理的な判断をする消費者を想定した場合、二次会に行くための費用(一人知らない人間の輪の中にずけずけ行く精神的な費用とお酒代)とそれによって得られる便益(幾らかの確率で発生する貴重な話を金銭化した時の期待値)を考えた時、費用が遥かに上回るので、二次会には出ないという選択をするはずである。僕は出た。「僕は合理的な消費者ではない!ミクロ経済学は間違っている!」という反骨精神ではない。ただ単に、長いこと同じ時を過ごして顔を覚えてもらおうとしただけである。

 

結果そこにいるだけの人となってしまった僕はそれなりの居づらさを感じた上に、これで顔を覚えてもらったかというと微妙(覚えてもらっていたとしてもそんなに印象は良くないだろう)というかんじである。

 

僕は反省をする、人と話した時にするコミュ障特有*1の反省会である。自己の行動を客観視する。物語化する。僕は現代文は苦手である。大学入試も30/100くらいであった。*2登場人物の心情の読み取れなさについてはピカイチの自信がある。

 

その中での自分の中でのひとまずの結論として。

「僕にとっては、みんなが知らない人であったが、みんなにとっては僕が知らない人であった。ということはやっぱり知ってもらう必要があったんだな。」と。

 

数学科の人が多いとはいえ、その中では非常に華やかな雰囲気のアクチュアリー志望の中でオタクバレをする勇気がなかったってことやな、要するに。*3

 

しかし、この事実は多少なりともの一般化を持つと思う。即ち、様々な場面においても、自分を知ってもらうということの大切さである。確かに、どんな場面でも俺が俺がと出ていくのは非常にうざったいかもしれない。しかし、それはそれで、失敗を重ねて調整していくものではないだろうか。自分なりの他者とのかかわりとの妥協点を見つけていく過程で失敗を恐れてはならない。

 

他人とのかかわりの基礎に会話がある。会話とはその基礎に話題と言うものが不可欠である。話題の基礎にはその人の人生経験が内包されている。人生経験のうち、多くが他人と共有できる人がいる。そんな大それたことじゃなくても、例えば音楽を聞いてどのドラマの誰の曲だかわかったりとかそういうのである。僕はそこまで他人と共有できる話題を持ち合わせていない。寧ろ、ほとんど今までの21年間において、ニッチな方向へ進んでいくのを良しという信念のもとに生きてきたといっても過言ではない。*4

 

でも、それはそれでいいんじゃないかなという風に感傷に浸って自分を慰めることでこの問題を解決しようと試みる。つまり、みんながみんな、人生経験の平均を取ったような中心人物じゃなくていいということである。平均を装い、話題を選び「話していいことと話してはいけないこと」を自分の基準で作って、当たり障り悪そうなことを言わないようにして会話する必要なんてなく、謙虚に自分はこういう人間だったんですという意志表明をすればそれでいいんじゃないだろうか。後は環境が何とかしてくれたり何とかしてくれなかったりする。

 

それが出来ていたら苦労しないという話ではあるが。

*1:らしい

*2:忘れたけどそんなもん。たぶん。

*3:その辺をカミングアウトしたところでどういう話になっていたかは微妙だけど。

*4:過言かもしれない。

東京弾丸旅行

本当にくだらない理由で東京に行くことにした。

 

あまりにくだらなさ過ぎてお酒の席でしかこの話はしたくないので割愛したい。

 

そのくだらない理由から、特に意味もなくふらふら東京に来た僕が、受け入れられるのかどうか、無用な心配に溺れていた。京都発東京行き、18切符での9時間半の旅は、早朝5時前出発による眠気と、向こう見ずな旅行への後悔に苛まれていた。

 

今回の旅行の目的は、高校時代の友人合わせて3人と会うことである。本当に久々に会った。少なくとも最近2年はあっていなかったので。

高校時代によく話したり話さなかったりしていた彼らは、はてさて、久々に会って非常に話が弾んだ。彼らが僕の扱いを完全にマスターしているかの如く話を引き出してくれた。大学生活の近況、今ハマってるモノ、大学の仲間内で流行ってるモノ、バイト先の愚痴、恋愛事情、思想など、とりとめのない会話を延々と交わしたそれはとても楽しいものだった。

 

本当に下らない、何物でもない僕を快く受け入れてくれた彼らに感謝しかないなあと思う。また、同時に今付き合ってくれている友人たちにも感謝の念が生まれた。*1

 

思考が纏まらないし、自分の言いたいことも言えていないけど、これはこれで今の自分という感じがするので公開しよう。公開して後悔や、がはは。

*1:フェイスブックにある意識の高い書き込みみたいだけど、本心からこう思えるような体験だった。上がりきったテンションが冷めやらぬまま帰路についた。帰宅して暫く経って、また気持ちを反芻しているうちにやりきれなくなったので、記事にしている。

廃墟

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 この曲を聞きながらこの動画に映される廃墟の画像を見て

 

廃墟の持つ優しさのようなものを感じた。

 

 

廃墟は死である。廃墟は自然に還ることを教えてくれる。

 

整備されなくなった建物は自然に飲み込まれていく。

 

そのような有様を美しいと思うのであれば、きっと僕達の死も美しいのだと思う。

 

いつか必ず訪れる死を受け入れる勇気を僕たちにくれる、そんな優しさを廃墟は僕らに与えてくれていると思った。